今日は一日、中山の指定席でのんびり競馬をみながら、ばんえいを買ってました(笑)おかげで馬券は絶好調。ちょっと数レース買った中央の当たり分も、ばんえいにマネーロンダリング。
上山、高崎、足利、宇都宮。実は私はこの4都市に関連があるような(4都市にお金が落ちるような)ものはなるべく買わないように気をつけています。とてもネガティブな考え方ではありますが、これら自分が行ったことがあって、その後廃止となった競馬場のある土地には収入を与えたくないからです。財政難という理由で切り捨てるだけという方策を取った土地に、自分の大事な金など与えるのは論外だと思うからです。競馬が無くなったことでそれ意外の点でも減収になってしまえばいい、という本当にわずかながらの反抗です。また収入が増えれば競馬も始まるよ、という雰囲気でもあればかえって協力したいとは思うですけどね。まぁ表だって不買運動するほど意地悪ではありませんが、これは自分の気持ちの問題です。
これはさすがに経営改善提案とかには書けないので、ここで書いちゃいますが、ある意味自分たちその土地以外の人物が出来るキャンペーンとして、こういうネガティブな事も考えられるんですよね。見捨てた者に対する外部からの弾圧。つまり「もし楽しい競馬が無くなれば、誰がこんなつまんない土地なんかに行ってやるもんか」と。実際競馬が無くなれば自分が行くことが無い土地になるのは事実なので。あるいは「殺された馬と捨てられた人の生き血を吸って育っている○○市の農作物」とか書いちゃうとか。
でも、地元の人から考えれば現在の競馬がそうなんですよ。「地元の人の血と汗を吸ってバクチを楽しむ為に使っている」赤字になればそう言われてもしょうがないんです。その気持ちがわからないわけでもない。それに、こういった脅迫行為は短期的な効果はあれど決していい方向には進まないので。
それでも「もし無くなった時のネガティブなイメージ」というものをたくさん挙げる、というのはある意味効果的かもしれませんね。やめた時のリスクの大きさは、補償だけではないということを理解してもらうためにも。
ただ、今回の件に関しては旭川が微妙なんですよね。ホッカイドウ競馬あるしなぁ。あと、すみません。正直宇都宮の餃子はたまに食べます(苦笑)でも、だるま弁当は今は絶対食べません。
Hide
なるほどなぁ、っていうのが素直な感想です。もしかしたら、自分は
「競馬がある街で過ごした」
という時間を大切にし過ぎたのかもしれないなぁって、思ったりしました。
まぁ、細かいことになりますが、宇都宮の場合はタイミングが悪かったというのもあって、最終的にトドメをさしたヒトを槍玉には上げにくいといったことがあったりもします。
それでも、やっぱりそれ以外の選択肢を模索して欲しかったという思いは消えませんけどね。
ワタクシは、競馬をとおして宇都宮の街も好きになってしまったので(競馬抜きでも魅力はあるところ…だと個人的には思います)、なかなかそこまでケジメはつけられないです。
ただ、そういうキッカケで、その街を好きになるヒトもいるんだってことを、今競馬をやってる街のエライ人には知ってもらいたいですね。
といっても、そういう性格の街の競馬が、残念ながら無くなりつつあるんですけどね…。
ではでは。
てつじん
自分がそう思うのは、Hideさんと違ってあくまで「他人の視点」なのだからだと思います。競馬がある街で過ごしている体験があれば、その土地に対してそういう事を考えることは無いと思うので....。
自分が府中や大井が無くなったとしても、その土地を恨むことができないと思うので。ただ、府中や大井が地元になじんでいるかというとまた別ですけどね....。
自分でもヘンな感覚だと思うんですよ。自分に近い土地でもないのに、なんでなんだろうと。「自分を楽しませてくれた土地」という気持ちが強いのかなぁ。楽しみを奪われた苛立ちとかなのかもしれませんね。
地元の人といっても全員が楽しんでいるわけでもなく、全員が反対しているわけでもないので、その土地でも賛否両論があり、全員が納得する結果なんて出るわけが無いのでしょう。でも「外の人が競馬が無くなったことで自分の街を嫌っている」という事を言われると、それは地元の人全員が同じ辛さを味わうことになるのかなと。
そんな事にはなりたくない、という事で一つになれるのも大事かと思うのです。それ自身はネガティブな方法でも、それでみんなが真剣に考えるようになればポジティブなパワーに変化することもできるのではないかと。
ではでは。